坂庭修 問わず語り

出がらしにだからこそできる役目や若い奴らに残せることがあるんじゃないか

高校野球に思う “おかしくないか?”

 夏の高校野球の地区予選が始まった。
 だが、新聞の地区予選結果を見て悲しくなった。「5回コールド」「6回コールド」などコールドゲームがなんて多いのだろう。私の住む県は学校数が多いのだが、1回戦、2回戦では半分以上がそうではないか?コールドゲームとは、決められた回までに大差が付いた場合、9回まで試合を行わず勝負が決するシステムのことだ。例えば5回終了時に10点差がついた場合などだ。
 このコールドゲームになっているのは圧倒的に「私立高校vs公立高校」の試合である。もちろん勝つのは私立高校(以下私学)。私学は全国から優れた生徒を集めてくる。優秀であればあるほど生徒は学費面で優遇されることが多いと聞く。これはどのスポーツでも同じ。公立でも同様なシステムがないわけではないが、私学に比較すれば魅力はないに等しい。
 ならば全国高校野球大会が都道府県代表の対抗大会である意味があるのか?何より制限された施設や時間で練習してきた公立高校の野球部の生徒が私学の実力差にこてんぱんにやられて大差、コールド負けという恥辱を受けることが「健全なスポーツ」なのだろうかと思う。そのスポーツを愛する選手に罪はない。でも“おかしくないか?”
 だから私は高校野球は見ない。決勝に公立高校が上がってきたとき以外は。

 そして似たような状況はオリンピックでもある。個人競技で自分の国で代表としてオリンピック選手になれない場合、その競技が盛んでない国に国籍を動かしてその国の代表としてオリンピックに出るのはよく行われる、と知ってショックを受けた。個々のケースではいろいろな事情もあるようだが・・・。
 自分がオリンピックに出られればよい、その国のことなど思っていない選手が国籍変更し、その国にたとえ金メダルがもたらされても祝福されるのだろうか?その選手は胸を張ってその国の国民の前に出られるのだろうか?国を代表した選手といえないものたちで争われる競技の大会であるオリンピック。
 もはや国や企業の莫大な利益・利権のための装置としてのオリンピックになっていると批判される中、こんなことはIOCにはどうでもいいのだろうか。
 私はテレビでもオリンピックは見ない。“おかしくないか?”