坂庭修 問わず語り

出がらしにだからこそできる役目や若い奴らに残せることがあるんじゃないか

みんな必死に生きているのだけれど・・・。

 わが家の小さな庭には年間を通して様々な花が咲き、小さいながらも池があるので鳥や昆虫も多く見かける。蝶も良く飛来し、モンシロチョウ、シジミチョウ(ヤマトシジミ)、カラスアゲハ、キアゲハ、イチモンジセセリ、そしてこの写真のツマグロヒョウモン(写真はメス)である。このツマグロヒョウモンは春から11月まで見かける。
 昨日庭を歩いた誰かが踏んだのか赤黒の気味悪いイモムシ(毛虫?)がつぶれており、すでにアリが見つけてたかっていた。このツマグロヒョウモンの幼虫である。この幼虫はスミレの仲間を食草とし、わが家の庭のパンジービオラを食い荒らしてしまう。蝶は美しいが、食草となる植物は被害を受ける。人間は自分が植えた植物の敵を許さない。「自然を大切に」と言いながら、どちらの命も大切にすることができない。今咲いているバラの花を黒い甲虫が食べている。ハスの花茎にはアブラムシがびっしりとついている。梅の木には気味の悪いカイガラムシがいっぱいついている。庭を守る正義をかざし、私は虫を殺し、勝手に生えてきた雑草たちを引っこ抜く。
 同様に農産物を得るために、害虫と名付けられた命や雑草は殺される。人間の命は他の命の犠牲の上に存続している。昔、若い頃、授業で「最悪の生物、人間がこの地球からいなくなれば、平和になる」と話したことがあったっけ。人間がいなくなることはあり得るが、自らいなくなることはないだろう。愚かな「ヒト」という生物は後戻りできない道を走り続けている。
 小さな庭の生き物たちを見ながら、「みんな必死に自分の命を生きているだけなんだよな」とか考えても次の瞬間もう別のことを考えている私。